創業者を紹介します!(vol.11)
ど~も、管理人です。
今日は創業者の大神誉央【会長】を紹介します!
と言っても、聞けた話は山ほどある中の100分の1くらいと思いますが
それを、さらにギュッとまとめてみました😌
ゼネコンに勤務していた頃、主な業務は意匠設計だったそうです。
アートに興味を持っており、ボイラー室で彫刻を作ったり
コンペにも応募していたとの事です。
そんな頃、現場で「施工図」を作成する機会があったそうです。
「芸術もいいけど世の中に直接役立つテーマはないか?」と
迷っていた時だったので、これはいける!と思い、上司に相談して
素人による生産ラインの企画づくりを始めたそうです。
ただ、そんな簡単なものでもなく、勉強することからスタートし
毎日、夜遅くまで先輩に迷惑を掛けながら、教えてもらっていたとの事です😆
やがて1982年「日本ドラフトワークス」と命名し、スタートしました。
そして今から約40年前、現在の社長でもある大神健造(第四子)が生まれた年
1986年「有限会社大神設計工務」、2004年 株式会社化し現在に至ります😤
創業時はボロアパートを転々とし、パートの方々と一緒に作業をしていたそうです。
その中には優秀な方たちが多くいたらしく、ラッキーだったそうです。
お手本にしたのは、トヨタの生産ラインで
ある人は線を書き、ある人はハンコを押すだけのような、流れ作業だったとの事です。
少しずつ会社らしくなっていた頃、南区野間で事務所を構えていましたが
自宅と離れており、子供が5人もいたため、生活が無茶苦茶になっていたそうです。
この生活をまとめるために、1999年、南区柏原に自宅兼事務所を構えました。
ちなみに、当時50万円もするFAXをお持ちのお姉さんから
よくお金を借りていたそうです😅
今でも様々な業務をおこなっている大神設計ですが、工事写真や
管理ソフトなど、何でもデジタル化し、「現場に使えそうなものは何でもやる」
そんな考えだったようです。
一番の思い出は?と聞くと「九州国立博物館の新築工事」と返ってきました。
ここは施工図・工事写真・竣工図など、あらゆるデジタル業務に携わったとの事です。
そして2024年7月、ついに事務所が南区野間に戻ってきました。
ここまで来られたのも「会長の人柄」ではないかと、全社員が思っています。
それ以外は?と聞かれたら全社員が困るかもしれません😅
気を取り直して
今後の会長の願いは?と聞くと「社員が自分の力を発揮できる会社にしたい」
それをバックアップしていきたいとの事です。
さらに「社員と一緒に成長したい」とも。。まだやるんですね💥
「チャンスの塊」...意味を聞きたい方は直接どうぞ😁
ここまで熱く燃えた話を沢山聞きましたが、残念ながら全ては書ききれませんでした😅
これからも大神設計をどうぞよろしくお願いいたします!
ではでは😉