顧問を紹介します!(vol.12)

 ど~も、管理人です。

 今日は前回の続きになりますが、大神洋子【顧問】を紹介します!

 会長と結婚したのは24歳だったそうです。

 その際、会長にお願いしたのは

 「私は家庭に入って主婦になり、社会への窓口が狭くなるので、これからは

 あなたの目を通して広い世の中(社会)を見せて欲しい」と言ったそうです。

 後に、会長がゼネコンを退職したので、その仕事を手伝うために

 専業主婦にはならなかったようです。

 鼻息荒いクレームを期待しましたが、その様な苦情は一切ありませんでした😅

 そんな中、経理として関わる様になったものの

 全くわからない中で、経理と主婦の2足のわらじだったそうです。

 そんなある日。現場事務所へ請求書を提出しに行った時の事。

 乳呑み子を背負い、子供達の手を引いて、請求書を持って行ったそうです😅

 そうしたら所長が

 「図面代をまけてもらおうと思ったのに、それを見たらまけてと言えんやろ。」と

 後日、会長に言われたそうです。

 これは仕方がなかったのか、計画的なのか?(聞くに聞けませんでした😅)

    

        大神洋子(1954生まれ)
 

 最初の野間(1996年)に事務所があった時、健造社長が小学校3年生で

 5歳離れた弟を毎日保育園に迎えに行っていたそうです。

 会長と同じように、顧問も家庭がほったらかしになっていた事に

 悩んでいたそうです。

 そして1999年、南区柏原に移転するも経営の事もよくわからなく

 苦しい毎日だったとの事です😨

 ただ、「継続することが一番大切」をモットーに頑張っていたとの事でした。

 そして経営の先生や、色々な人たちとの出会いが良かったおかげで

 「今がある」との事です。

 そして2024年7月、ついに事務所が南区野間に戻ってきました。

 今まで良かったことは?の問いには、最初は専業主婦になる予定だったのが

 「会社を通して色々経験できたことです」としみじみ語っていました。

 また、別々に話を聞いたのですが、会長と全く同じことを言っており

 「器が変われば、その器に合わせていい会社になれば良い」と

 言ってた方がいたらしく、本当にそうなっていったそうです。

 これは40余年、紆余曲折でやってきたお二人にしかわからない

 実体験なのでしょう。

 今後の顧問の願いは?と聞くと「世の中から信頼される会社を目指して欲しい」

 ついでにこれもと言いながら

 「自分がこうなりたいと思っていたら、人に出会った時にピンとくる」

 さらに「大きな夢や希望をもって人生歩んで欲しい」と

 尊敬するおじさんが言った言葉を継承したいそうです😌

 ではでは😉