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7月, 2024の投稿を表示しています

出張に行ってきました!(vol.14)

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 ど~も、管理人です。  連日暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしですか?  今日は、短期出張が重なった 4方面 の様子を紹介します。  まずは 南方面 の調査課から😁  草刈りかと思いきや  建物の外壁を調べてたんですね。    ん~・・大変そうです😭  でも、夜はなんだか楽しそうですね😋  続いて 東方面 の調査課  3人の写真をくださいとお願いしていたのに  なぜか新人のIさんだけ・・・  でも楽しそう😁  続いて 北方面  こちらは営業部ですが  昼間は作業服を着て天井裏を点検してたとの事です😨    いったい何の仕事ですかね?😅    最後は 南の南方面 の調査課  徳之島です!  その場にいた方に写真を撮っていただいたそうです😌  おっと、安心してください。ちゃんと仕事したあとですよ😊    という事で、元気に暑い夏を乗り越えましょう!  ではでは😉

施工図とは?(vol.13)

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 ど~も、管理人です。  今日は、私たち大神設計の原点でもある 「施工図」 についてお話しします。  みなさんは「図面」にも色んな種類があるのはご存じでしょうか?  よく耳にする「設計図」の中には   意匠・構造・電気・衛生・空調・機械などの図面がありますが  この「設計図」だけでは建物を造ることができません😌  現場の職人さんたちが必要となるのが、私たちの 「施工図」 なのです。  簡単に言えば、設計図を読み取り、サッシ・金物などの収まりを考え  詳細にしたのが 「施工図」 なのです。  設立1986年の頃には、もちろん手書きでした。  ドラフターという製図台にスケスケのトレーシングペーパーを置き  書き終わるとそのスケスケ紙と真っ黄色の感熱紙を一緒に青焼機に入れ  コピーされて出てきます。そしてその感熱紙は青色になって職人さんに渡されます。  今ではCADを使って図面を作成し、コピー機を使って印刷されます。  便利になりましたね😁  ということで、生産設計課の方に    「 CAD でドラえもんを描いて」とお願いしてみました😉    まずは製図用テンプレートを使って手で描いた  私の 「ドラえもん」 がこちら  ちなみに使ったテンプレートがこちら  そして 「CADで作成した」 のがこちら  ほほう😏  こんな綺麗な 「ドラえもん」 が出てきました👏  さらに 「これがドラえもんの設計図」 と自慢げに出してきました😁  CADって便利ですね。  ではでは😉

顧問を紹介します!(vol.12)

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 ど~も、管理人です。  今日は前回の続きになりますが、 大神洋子【顧問】 を紹介します!  会長と結婚したのは24歳だったそうです。  その際、会長にお願いしたのは  「 私は家庭に入って主婦になり、社会への窓口が狭くなるので、これからは  あなたの目を通して広い世の中(社会)を見せて欲しい 」と言ったそうです。  後に、会長がゼネコンを退職したので、その仕事を手伝うために  専業主婦にはならなかったようです。  鼻息荒いクレームを期待しましたが、その様な苦情は一切ありませんでした😅  そんな中、経理として関わる様になったものの  全くわからない中で、経理と主婦の2足のわらじだったそうです。  そんなある日。現場事務所へ請求書を提出しに行った時の事。  乳呑み子を背負い、子供達の手を引いて、請求書を持って行ったそうです😅  そうしたら所長が  「図面代をまけてもらおうと思ったのに、それを見たらまけてと言えんやろ。」と  後日、会長に言われたそうです。  これは仕方がなかったのか、計画的なのか?(聞くに聞けませんでした😅)               大神洋子( 1954 生まれ)    最初の野間( 1996年 )に事務所があった時、健造社長が 小学校3年生で  5歳離れた弟を毎日保育園に迎えに行っていたそうです。  会長と同じように、顧問も家庭がほったらかしになっていた事に  悩んでいたそうです。  そして1999年、南区柏原に移転するも 、 経営 の事 もよくわからなく  苦しい毎日だったとの事です😨  ただ、「継続することが一番大切」をモットーに頑張っていたとの事でした。  そして経営の先生や、色々な人たちとの出会いが良かったおかげで  「今がある」との事です。  そして2024年7月、ついに事務所が南区野間に戻ってきました。   今まで良かったことは? の問いには、最初は専業主婦になる予定だったのが  「会社を通して色々経験できたことです」としみじみ語っていました。  また、別々に話を聞いたのですが、会長と全く同じことを言っており  「器が変われば、その器に合わせていい会社になれば良い」と  言ってた方がいたらしく、本当にそうなっていったそうです。  これは40余年、紆余曲折でやってきたお二人にしかわからない  実体験なのでしょう。   今後の顧問

創業者を紹介します!(vol.11)

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 ど~も、管理人です。  今日は創業者の 大神誉央【会長】 を紹介します!  と言っても、聞けた話は山ほどある中の100分の1くらいと思いますが  それを、さらにギュッとまとめてみました😌  ゼネコンに勤務していた頃、主な業務は意匠設計だったそうです。  アートに興味を持っており、ボイラー室で彫刻を作ったり  コンペにも応募していたとの事です。  そんな頃、現場で「施工図」を作成する機会があったそうです。  「芸術もいいけど世の中に直接役立つテーマはないか?」と  迷っていた時だったので、これはいける!と思い、上司に相談して  素人による生産ラインの企画づくりを始めたそうです。  ただ、そんな簡単なものでもなく、勉強することからスタートし  毎日、夜遅くまで先輩に迷惑を掛けながら、教えてもらっていたとの事です😆  やがて1982年「日本ドラフトワークス」と命名し、スタートしました。  そして今から約40年前、現在の社長でもある大神健造(第四子)が生まれた年  1986年「有限会社大神設計工務」、2004年 株式会社化し現在に至ります😤      大神誉央(1950生まれ)    創業時はボロアパートを転々とし、パートの方々と一緒に作業をしていたそうです。  その中には優秀な方たちが多くいたらしく、ラッキーだったそうです。  お手本にしたのは、トヨタの生産ラインで  ある人は線を書き、ある人はハンコを押すだけのような、流れ作業だったとの事です。  少しずつ会社らしくなっていた頃、南区野間で事務所を構えていましたが  自宅と離れており、子供が5人もいたため、生活が無茶苦茶になっていたそうです。  この生活をまとめるために、1999年、南区柏原に自宅兼事務所を構えました。  ちなみに、当時50万円もするFAXをお持ちのお姉さんから  よくお金を借りていたそうです😅  今でも様々な業務をおこなっている大神設計ですが、工事写真や  管理ソフトなど、何でもデジタル化し、「現場に使えそうなものは何でもやる」  そんな考えだったようです。  一番の思い出は?と聞くと「九州国立博物館の新築工事」と返ってきました。  ここは施工図・工事写真・竣工図など、あらゆるデジタル業務に携わったとの事です。  そして2024年7月、ついに事務所が南区野間に戻ってきました。  ここまで来られ

移転しました!(vol.10)

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 ど~も、管理人です。  7月1日 をもちまして、私たち大神設計は移転しました!  そう、ここは大都会なのです(私たちのレベルで😅)  周辺には美味しいお店がいっぱいあり  まっすぐ帰れるか、とても心配です😁  それでは Before after をお見せします。  まずはBeforeから  これでもなんとか座っていましたよ😰  afterをどうぞ  お~  これはちゃんと座って仕事していますね😁  そして、沢山のお祝いありがとうございました!  玄関がいい香りで包まれています😆  これからも大神設計をどうぞよろしくお願いいたします!  ではでは😉